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台湾現地のオリジナルライトノベル作品をレビューしていくブログ

架空の1950年代の台湾・台北での妖怪たちの騒乱をえがく『臺北城裡妖魔跋扈』

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さて台湾のオリジナルライトノベルをレビューしていくこのブログ。

 

既存のトゥギャッターでまとめられている順番に触れていく方が無難といえば無難なのですが、せっかく文字数制限がかからないメディアに移行した点を活かしたい。

ということで、ここ最近文字数制限に悩みながらレビューツイートした

 

『臺北城裡妖魔跋扈』(仮題『台北に妖魔跋扈す」)

 

という作品から始めて行きたいと思います。

 

 

物語となる舞台

 

物語の舞台となるのは、日本による植民地支配が続いている架空の1950年代の台湾・台北。

 

作中の台北では猟奇殺人事件が連続していて、その残虐非道な殺害方法、ことに現場に必ず残されているアルファベットの「K」という文字が元になって、台北市内では「殺人鬼K」の話題で持ち切りとなっていた。

 

殺人鬼Kの目的とは何なのか?

被害者の大部分が内地人であったことから、殺人鬼Kは大日本帝国に敵対する思想をもった人物ではないかと推測されるものの、警察は明確な犯人像すら示すことができず、たまたま台湾を訪れていた満州国の要人までも殺害されるに至り、民間では政府に対する不満と、殺人鬼Kへの恐怖心が高まっていく一方だった。

 

そんな台北の一角、太平町にある西洋風レストランから物語は始まる。

 

台湾文学界で新進気鋭の作家として注目され始めていた若手作家・子子子子未壹。

彼はある日、新日嵯峨子という評論家から一通の「招待状」を受け取る。

 それは「新日サロン」と呼ばれる、新日嵯峨子が主催する台湾文学界の関係者が集う文学サロンへの誘いだった。

 

新日嵯峨子は当代きっての評論家として名高い人物であり、同時に、台湾文壇の関係者の中では、その高い評価の一方で実際に会ったことのある者はほとんどいないという、謎に包まれた人物でもあった。

 

駆け出しの作家である子子子子はもちろんこのチャンスに飛びついた。

しかし新日サロンで彼を待っていたのは、新日嵯峨子による驚くべき提案だった。

 

新日嵯峨子の提案

 

新日嵯峨子の驚くべき提案、それは台北市内を騒がせている連続猟奇殺人事件を、新聞の紙面で読者の推理を募集しつつ、リアルタイムで殺人鬼Kの正体を追って行こうという、探偵趣味のコラムの連載だった。

 

しかしそれだけなら多少の悪趣味さをはらんだ企画というだけで済んだ。おそらく、新日嵯峨子の手腕と功績からいっても、わざわざ自前のサロンで文学界の主要な人物、作家たちの前で発表するまでもなく、通ったはずの企画だった。

 

新日嵯峨子の狙いは他にあった。

彼女は連続猟奇殺人事件、その犯人である殺人鬼Kを主題とした小説の構想を練っていたのである。

 

1950年代の台湾文壇

 

ここで改めて、新日サロン(劇中では第六回新日サロン)に招待されていた台湾文学界の面々、特に西川満張文環、彼らが発行していた『文藝臺灣』と『臺灣文學』について触れる。

 

新日サロンに出席していたのは西川満、高山凡石、池田敏雄、池田の妻である「池田夫人」、そして初めてサロンに招待された作家・子子子子だった。

 

これらの登場人物は子子子子を除いて実在した文学界の関係者である(新日嵯峨子ともう一人のキャラクタも同じシーンに登場するが、ここでは省略する)。

 

西川満は日治時代の小説家、詩人、装丁作家としても知られる人物で、巻末資料によると1910年ごろに父に連れられて台湾を訪れ、現実世界では1946年に台湾を離れている。

西川満は「台湾は日本の一部」という捉え方をしていた人物だった。

台湾を新しく編入された日本の新しい領土、あるいは植民地という考え方に立たず、台湾文化を日本文化に融和させ、台湾に暮らしている日本人の視点から、「南国」の地にすむ日本人の暮らしを「北方」に暮らす日本人へと紹介するというスタンスの下、日本人作家・中山侑、台湾籍の作家・楊雲萍らとともに台湾文芸家協会を組織、1940年に『文藝台湾』という機関紙を発行するに至っており、作中の50年代の台湾文壇において、西川満と彼の『文藝臺灣』は台湾文壇に対して絶大な影響力を持っている。

 

新日嵯峨子もまた西川満の『文藝台湾』の常連だった。

しかし一方で、西川とは異なる視点から創設されたもう一つの主要な機関紙、『臺灣文學』にも多くのコラムを提供していた。

 

『臺灣文學』は臺灣文壇において大きな影響力を持つもう一人の人物、張文環による機関紙だ。

 

張文環は嘉儀の生まれで、巻末資料によると日治時代における重要な小説家、編集者の一人。

1940年に西川満らによって組織された臺灣文藝家協会に加わったものの、翌年になって王井泉、中山侑らと共に啓文社を発足、機関紙『臺灣文學』を創刊させる。

作品の多くは台湾の風土を取材し、リアリズムの手法に基づいて描かれる非常に重厚な作風が特徴で、代表作である『夜猿』は皇民奉公会台湾文学賞を受賞しているという人物。

 

このように作中の50年代の台湾文壇は、台湾を日本の一部として内地読者に対する「風土記」というスタンスで文学作品を捉えている西川満らの『文藝臺灣』と、リアリズムの手法によって台湾独自の風土に根差した視点を得ようとしている張文環らの『臺灣文學』という二派に分かれている状態だった。

 

新日嵯峨子はこの両方の機関紙に等分に寄稿しており、巧みに両者の論戦を操る姿勢から評論家として高い評価を得る一方、神出鬼没で捉えどころがないという印象を与える所以ともなっていた。

 

 そんな中で、新日嵯峨子は従来の外地文学の限界に触れる。

 

従来の外地文学は上述のように、西川満らによる『文藝台湾』と張文環らによる『臺灣文學』という二派に分かれる恰好で論戦が続けられているが、しかし互いが想定している読者に目を向ければ、西川も張も、内地読者を指向していることに変わりはない、と分析してみせる。

 

しかし、もし内地読者の支持を得られなくなってしまったら?

 

西川、張両名の主張のどからが正しいということでもない。ただ単純に、本島台湾ではなく内地日本の読者を想定し続ける以上、内地読者の支持を得られなくなってしまえば、必然的に外地文学の命脈は絶たれてしまう(作中ではそこまで言い切ってはいないが)。それが新日嵯峨子のいう、外地文学の限界だった。

 

もちろんのこと、こういった自説は敏腕評論家である新日嵯峨子にとっても過度に挑発的だった。従来の外地文学とはそれすなわち西川ら台湾文壇の有力者たちが築き上げて来た素地に他ならないからだ。

そこで新日嵯峨子は、挑戦的な分析をしてみせる一方で、子子子子の作品に言及してもせる。子子子子の作品には科学、医学といった幅広い知識が投入され、探偵趣味的な娯楽性も兼ね備えた多角的な視点をもった、本島読者を想定した作品だった。新日嵯峨子は子子子子の書く作品のようなものをこれからの外地文学、「ポスト外地文学」のあり方として紹介するのだった。

 

そうして新日嵯峨子による小説の構想が発表される。

 

彼女がその場で提示してみせたプロットは、とても隠喩的なものだった。

 

殺害された大妖怪・言語道断

 

 新日嵯峨子の示してみせたプロット、それは「妖怪」という視点から台北の連続猟奇殺人事件を描くというものだった。

 

物語の骨子はこうだ。

日本は台湾の植民地支配とあわせて、日本の妖怪たちも台湾へと移住させていた。

その中で台北に対する風水上の統治強化のため連れて来られていた大妖怪・言語道断は、台北における日本妖怪たちの優位を保証する「台北大結界」の守護を担当していた。

しかしこの大妖怪・言語道断がある晩、何者かに殺害されるという事件が発生する。

 日本妖怪たちが真っ先に容疑者として睨んだのは、台北を震撼させていた殺人鬼Kだった。同時に言語道断に対して絶大な信頼を寄せていた日本妖怪たちは、殺人鬼Kを妖怪と断定する。人間に言語道断を殺害できるはずがないからだ。ということは必然的に日本妖怪に恨みをもつ「妖怪」……台湾土着の妖怪が犯人ということだ。

果たして犯人は台湾妖怪で間違いないのか?

言語道断を殺すことができるとすれば妖怪以外にはないが、言語道断ほどの大妖怪を殺害できる力をもった妖怪が、台北に存在しているのか。

 

けれど彼らにはただ悩んでいる時間はなかった。

 

日本妖怪の後ろ盾であった言語道断が死に、結界が崩れてしまった今、日本妖怪たちの優位性は揺らいでしまっている。

いつ台湾妖怪たちによる反撃が始まるか知れない中で、日本妖怪と台湾妖怪たちの緊張の度合いはこれまでにないぐらいの高まりをみせていた。

 

劇中劇が始まるかと思われた矢先……

 

新日嵯峨子の狙いは明白だった。

彼女は現実に発生している連続猟奇殺人事件とその犯人の物語に、「妖怪」という土着性の強い「風俗」を与え、日本妖怪と台湾妖怪で日本人と台湾人の関係を隠喩し、彼らの関係を決定的に変化させる材料として、殺人鬼Kを利用しようというのだ。

 

 けれど、劇中劇に過ぎないと思われた新日嵯峨子のプロットは、章を跨いだ瞬間、台北における妖怪たちの実情であることが読者に示されることになる。新日サロンに参加していた子子子子の幼馴染で、台湾土着の神明であった東野雪夜。彼女は子子子子の口から新日嵯峨子の構想を知り、大妖怪・言語道断を殺害した犯人は新日嵯峨子……つまり、新日嵯峨子こそが殺人鬼Kではないかと推理する。

 

そうして、物語は台北における日本・台湾妖怪、そして新日嵯峨子という謎のエッセイストと殺人鬼K、更には西本願寺台湾別院、台湾における宗教を統括する陰陽師たちの神務局といった二重、三重のつばぜりあいへと進展していくのだ。

 

様々な思惑の中で浮かび上がって来る架空の台北

 

長い……長すぎる。

あらすじを取り出すだけで4000文字近く費やしてしまいました。

 

普段読んでいる台湾のライトノベル作品ならサクッと「啊^~我的心怦怦地跳著^~」で済むところなのですが、本作『臺北城裡妖魔跋扈』はあらすじを抜き出すだけでも一苦労、これでもまだ全体の1/5にも満たないという重厚さです。これはライトノベルに分類していいのか?

 

そもそもこの構造の複雑さ、批評性の高さからいって、あらすじを書き出すだけでも素人の書評ブログの記事としては充分なのでは……という気さえするほどです。

 

それでも敢えてポイントをまとめてみるなら、やはり「ポスト外地文学」の在り方を示した作品、ということになるかもしれません。

 

新日嵯峨子と彼女が主催するサロンに出席した作家や編集者たちの口から台湾文壇の閉そく感と課題がつまびらかにされる冒頭部分は、スリリングな反面、あまりにあけすけで面食らうほどですが、その後展開される妖怪たちの物語を理解する上で、読者にとって最高の道しるべとなってくれていることは確か。

 

また台湾に移住してきた日本妖怪と、言語道断の殺害事件をきっかけに動き出す台湾妖怪。一見堅固なようでいて、ほんの少しのきっかけで崩れてしまう危いバランスの上に成り立っている植民者と被植民者の関係は、そのままでも十二分に隠喩的ですが、日本・台湾妖怪、日本人と台湾人、本島と内地の宗教、さまざまな思惑と勢力が複雑に入り乱れ、徐々に台北という街の様相を形作っていく後半部分の構成は、サブタイトルである「The Murders in Mandala」に通じていくものがあります。

 

 

 

本作のテーマは主体性を持たない存在が、外縁からその輪郭を得ていく物語だと言えるでしょう。

 

 

 

はぁ終わった……

書評になってますかね?